資料NO. :  13
資料名  :  ゆるそう しかし忘れまい=戦争より共生

 
 8/24コリアン交流会と原爆の絵展

         志津コミュニティーセンター(主催:佐倉平和のつどい実行委員会)
制作者  :  T.M.(ちば・いちはら連絡会)
制作日  :   2002/09/05

 どこかの集会で配られていたチラシを見て,原爆の絵展と「在日朝鮮人女性の半生」と題する講演に出かけました。
 原爆の絵は,広島原爆資料館に展示されている2000点を超えるものの内,毎年100点ずつを借り受け絵展を開催しているものだそうです。絵は,被爆者達が原爆被害を後世に伝えようと描いたものです。戦後30年経って描いたものですが非常にリアルで生々しいものです。
 広島と長崎に投下された原子爆弾の実物大模型も展示されていました。会のみなさんの手作りだそうで,迫力のあるものでした。
 講演は,千葉市在住の安順伊(アン・スニ)さんという70歳くらいになる女性でした。安さんは,8歳の時母と妹と一緒に,朝鮮の農村から海を渡って,北海道の尺別炭鉱で徴用で働く父のもとにやってきました。やがて一家はその炭鉱から逃げ出して,美唄にいき,さらに千葉の飯場に移ることになるのです。
 安さんの戦中〜戦後は苦難の連続でした。講演の最後に安さんの言ったことが印象に残りました。小学校も卒業していない安さんは60歳を過ぎてエッセイ教室で勉強することになるのですが,「本を出すとき,エッセイ教室で助けてもらった。日本の友達が初めてできた。大事にしたい」「南北分断されている国が一日も早く統一されること,生きているうちに統一を実現してほしい」と語っていました。 
                                           ≪安さんの講演録はこちら

 講演の後,朝鮮初中級学校の生徒達と佐倉市内の日本の生徒達が元気よく円舞し合いました。朝鮮学校生徒達の演奏する『明日があるさ』に応え,有事法案を廃案に追い込み,差し迫っているイラク侵略戦争を阻むために,そして朝鮮・中国への侵略戦争を阻むために闘っていきたいと思います。

  著書紹介
    『海をわたった家族−そして、遙かなる祖国よ』(安順伊著 星州出版 1000円)
    ≪本文より≫
      「 飯場長屋で作った米ショウチュウは,飛ぶように売れた。
      どぶろくからショウチュウを作るのだが,
      一日中火をたきながらの大がかりな作業である。
       母は,生まれて五ヶ月になる乳のみ子をかかえ,
      どぶろくとショウチュウ作りなど,なりふりかまわず働いて家計を助けた。」

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リトルボーイ(広島に投下された原子爆弾)

原爆の絵の展示

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ファットマン(長崎に投下された原子爆弾)

「佐倉平和のつどい」からのメッセージ

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佐倉平和のつどい 原爆の絵展のコメント

原爆の絵(1)

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原爆の絵(2)

原爆の絵(3)

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原爆の絵(4)

原爆の絵(5)

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原爆の絵(6)

原爆の絵(7)

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主催者あいさつ

安順伊(アン・スニ)さん

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ロックソーラン円舞(佐倉市内生徒)

演奏(朝鮮初中級学校生徒)

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朝鮮民族舞踊(朝鮮初中級学校生徒)(1)

朝鮮民族舞踊(朝鮮初中級学校生徒)(2)

                                                      

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掲載:2002/09/12

制作者  :  T.M.(ちば・いちはら連絡会)
                        「拉致問題」について
  9月17日の日朝首脳会談は,「拉致問題」で8人の死亡という事態が北朝鮮側から告げられ深刻な事実が突きつけられました。この「拉致問題」を口実としてすさまじい排外主義の嵐が吹き荒れています。
  朝鮮初中級学校に登校中の中1の女子生徒が、中年女性に背中を突き飛ばされたり,民族服チマ・チョゴリの制服で自転車登校していた中3女子が、男性から石を投げられるといったことが起こっています。朝鮮総連の事務所には何十本もの嫌がらせ電話や「爆破する」と脅迫が行われているのです。(朝日新聞9/18付け)
 私たちは在日・滞日朝鮮人へのこの様な攻撃を決して許してはならないと思います。

 この排外主義の攻撃を許してしまうことは,1923年の関東大震災の際「井戸に毒を入れた」といったデマで,6000人を超える朝鮮人・中国人を虐殺した歴史を再び繰り返していくということです。
 そもそも,日本はかつて数百万人の朝鮮人民を強制連行して,炭鉱や鉱山に閉じこめ,強制労働させたり,20万人ともいわれる朝鮮女性を日本軍軍隊慰安婦として蹂躙しました。この国家的大拉致事件について,日本政府は謝罪も賠償も補償も一切行ってきませんでした。この様な日本に,拉致云々をいう資格などないのではないでしょうか。
 日本政府は,関係者家族の苦しみや悲しみに真剣に向き合って「拉致問題」を解決しようとしているのではないと思います。家族が,「(外務省は)これまで真剣に取り組んでくれなっかた」(9/26付け朝日新聞)と語っているように,日本政府は,24年間家族の願いを門前払いし続けてきました。政府は,「拉致問題」が北朝鮮との交渉を有利に高圧的に進める道具に利用できることから,クローズアップさせているのだと考えます。
 今回の小泉首相の訪朝は,国交正常化をして日朝の友好関係を築いていこうとしているのでは決してないものだと考えます。北朝鮮経済はほとんど飢餓的破綻にひんしていて,経済的にも政治的にも危機的な状況だといわれています。この様な中で亡命も相次いでいます。小泉政権は,この様な北朝鮮の危機につけ込んで戦争外交を展開し,権益を確保し,北朝鮮を食い物にしていこうとしているのだということではないでしょうか。

 この様なことを許してしまうことは戦争への道だと考えます。排外主義を許さず,イラク・北朝鮮侵略戦争反対の声を大きく上げ,有事法制を廃案に追い込んで行かなければならないと思います。
  この問題については,”都政を革新する会”の 日朝首脳会談にたいする私たちの立場(02.9.20付け)が参考になります。

(参考サイト)


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